今日はアメリカでの駐在員から、現地採用として転職した私の心の変化について記事にさせて頂きます。
一応、日本では毎年人気就職ランキング上位に入る商社ですが、その商社マンを辞めて、現地就職に至った私の心の変化やマインドセットについて、書かせて頂きます。
この記事は以下のような方々のお役に立てれば幸いです。
- 今後の人生を考え直したい方
- 働くために生きている方
- これからのキャリアで悩んでいる方
- 就職活動で悩んでいる方
コロナパンデミックによる生活の変化
商社マンとして、アメリカに赴任し、駐在員として働いていた私が「アメリカ永住」という道を選択した決め手とは言いませんが、私の心に変化を与えたものとして、「コロナパンデミック」があります。
恐らく私はコロナが世の中で蔓延していなければ、アメリカ永住はしていなかったと思います。
【商社マンの日常】~アメリカ駐在編~という記事でも書かせて頂きましたが、(業界によるかもしれませんが)商社の駐在員は地獄です。
近年、日本では総合商社含めて、働き方改革という考え方が広がってきており、夜の残業を止めて、朝残業にしたり、そもそも残業をしなくてもいいようにRPAやAIを用いた業務の効率化というのが進んでいます。
しかし、商社の駐在員はこのような基本的人権は無いため、ずっと働いています。朝早くから働き、夕方・夜になると日本が動きだし、日本にいる社員は当たり前のように電話してくるので本当に家族との時間などありません。
そんな生活を3年ほど送っていた時に、突如コロナパンデミックがやってきました。
最初は、部下の出勤ルールや在宅環境の設定から、顧客とのやり取り方法変更などなど、調整すること山積しておりましたが、慣れてくると、(当初は学校もコロナで休みになっていたので)朝から昼まで仕事をして、昼は家族とご飯を食べる。そして、午後から仕事をして、夕方に子供たちをお風呂に入れて、夕食を一緒に食べる、という信じられないような生活が始まりました。もちろん、夕食後は仕事に戻りましたが・・・笑
今まで平日に妻や子供と一緒に夕食を食べたこともなく、子供たちをお風呂に入れたこともなかった為、とても新鮮でしたし、家族と過ごす時間の尊さを実感するとてもいい機会になりました。
コロナ前までは子供も私には全然懐いてくれなかったのですが、コロナで一緒に過ごす時間が増えてから懐いてくれました。
このコロナパンデミックという世界を変えてしまったウイルスがこんな形で私の生活や価値観へ影響を与えるとは思ってもみませんでした。
将来が見えてしまう
商社と言ってもいろんな部署がありますので、所属部署により事情は異なりますが、私が所属していた部署では大体、30歳くらいから駐在へ行き、そこからは5年駐在して、日本で2~3年勤務、そのあとまたどこかに駐在5年して、また日本で2~3年勤務・・・というのを繰り返していきます。もちろんどんどん出世していく場合には、40代後半か50歳くらいから日本メインになりますが、出世があまりない場合にはこのように日本と海外の生活を繰り返します。
一見、いろんな海外で暮らせるし、最高じゃん!!と思われるかもしれませんが、そうでもありません。
もちろん、お金の面では良いと思いますが、以下のような問題があります。
- 子供の転校が多すぎる(転校どころかいろんな国で暮らすので子供もストレス)
- 基本駐在期間中は人権無視の労働時間(日本でも忙しいですが・・・)
- 引っ越しが多すぎる(=妻ガチギレ)
このように、出世するにしても、出世しないにしてもある程度自分の将来が見えてしまったため、「あ~僕はこれから60歳くらいまでこんな感じで生活するんだ」と思った瞬間一気に空しくなりました。
就活生のころは、「世界中を飛び回って大きな仕事をしたい!!」みたいな感じで希望に満ち溢れていたわけですが、いざ30代半ばになってみると、「このまま働くために生きているような生活でいいのか・・・」という疑問が湧きました。
この考えが頭をよぎったのが、人生を見つめなおすスタートになりました。
「このまま働くために生きているような生活でいいのか・・・」という疑問が心の中に出てきたとき、一気に空しくなりました。
学生のころ、夜の電車で疲れ果てて帰るサラリーマンや、新橋でベロベロになったサラリーマンをみて、「自分はこんな生活を送りたくない」と思っていましたが、見事にそんな感じのサラリーマンになってしまっていたんだな~と気づきました。(新橋でベロンベロンにはなってないですが。笑)
引き金を引いたのはパワハラ上司
そんなタイミングで、パワハラ上司(彼も駐在員)による本格的な追い込み稽古を受けました。
彼は、とにかく責任を取りたくない、ということに関しては徹底してました。コロナになり、アメリカでは人件費が高騰しましたが、我々が事業経営していた倉庫などでも従業員のおにーちゃんたちが辞めていってしまいました。
そこで、「求人の時給を上げて人を集めましょう」といったのですが、「予算でそんな金額考慮していないし、大本営(日本の本社)に説明つかないので何とかしろ」と言われ、あーだこーだもめた結果、私を含む2名の駐在員がフォークリフトの免許を取得し、一時的に倉庫事業のフォークリフト作業をすることになりました。
まさか、商社に入り、バリバリのキャリアを築いてやる!!と息巻いてた人が、フォークリフトの運転をやらされるとは思っていませんでした。笑
この時、「よし、本気で人生見つめなおそう」と覚悟を決め、妻にも伝えました。
駐在員が倉庫作業をやると、原価計算の人件費の部分がエゲつないので、普通赤字になりますが、別に原価計算にはそのようなものは乗らないというご都合主義のもと、パワハラ上司に意味不明の仕事をさせられました。運転してた時は、朝運転、昼前まで仕事、昼運転、午後から会議・仕事、夕方運転、そして夜仕事と会議・・・というオールランドプレイヤーになっていました。
今後の人生を選ぶ上で大事にしたこと
「人生をやり直そう」と決めてから、毎晩考えました。日本に帰って転職するということも考えましたが、
私を苦しめているものの1つとして、日本企業による「過度な忠誠心の教養」というのがありました。
例えば、ほぼ強制の飲み会、人権無視の夜の会議などなど・・・
これを考えると、ちょっと日本で働くというのは止めよう、と考えました。
次に、アメリカで起業しよう!!と決めました。(もともと起業をしてみたいと思っていましたが、その一歩を踏み出す勇気などなかったのですが、これを機にやってみよう!と決意)
そして、起業家の先輩や友人などに相談したり、移民弁護士に相談した結果、アメリカでいきなり起業は無理だ・・・ということに気づきました。就労ビザの問題です。
そのため、まずは現地就職しつつ、起業を副業としてやっていこうと決めました。
正直、この人生プランを決めてからも、何度も悩みましたが、「夢はいつも逃げない。逃げているのはいつも自分だ」という言葉を目にして、「はっ!」として、もうやると決めたら実行しよう!と決め、自分の逃げ道を塞ぐために友人に「アメリカで起業する」と言いふらしました。笑
結局、私の起業も失敗するかもしれないし、アメリカ永住も苦労ばかりかもしれません。それでも、「半ば先が見えてしまっているこのままの生活を続けるのか、或いは永住して起業に挑戦するのか」と考えたとき、70歳になったときに自分は何を後悔するだろう、と考えました。
そして、今ここで挑戦しなかったことを悔やむことだけはしたくない、という思いが強くあったため、思い切った決断をしました。
みなさんも人生の選択で悩むことはたくさんあると思いますが、将来の自分が何を後悔と感じるのか、という観点で考えるのもいいかもしれません。